私にとってレムリアといえば、青い石でした。
今地上で「神」と言われるような、宇宙や星の創造や宇宙全体の流れを作ることに貢献している意識体が、地球に人類と文明をもたらすために「レムリア」を作ったのです。「レムリア」は、そうした意識体や、地球での人間と文明の創造に関わった高次元の存在達が、3次元の地球上に存在することを可能にしたのが「青い石」でした。そして、3次元と5次元という、全く接点の無い二つの次元が交流できる仕組みを作れたのも、この「青い石」の働きでした。
「青い石」とは、「あらゆる運命と定義と時空あるいは次元を超越し、宇宙と言う愛の中で、全てを一つにする力」の象徴です。
ある意味鍊金術で言う「賢者の石」に通じるものがありますが、賢者の石と違って、「青い石」はつくることができないもの、「ただある」ものです。
アトランティスの時代には、高次元からもたらされた地上文明の、3次元化が進んでいました。3次元と言う世界は、5次元などと違って、物事に始まりと終わりがあり、人間にも誕生と死があります。そうした「時間の制限」の生み出す歓喜や奇跡に溢れながらも、3次元化の流れの中で、「生への執着」「過去への執着」が生まれて行き、「恐れ」が人々の心に、そして本能に育まれて行ったのです。
地上に降り立った高次元の意識体が三次元世界で高次元の力を失って行く現象の中で、「失う」ことへの恐れ、「失われるもの」への執着から、人々をそうした恐れから解放するものとして、また、そうした高次元の能力や力を保持させることが出来る「力」として、「青い石」を探し求める動きが生まれました。
「青い石」は、その石を持つべき存在、その石があるべき場所を自らが選ぶため、そういう存在のもとに「青い石」がくることはないのですが、それでも「今への執着」がそれを求めさせたのでしょう。そうした中では、「青い石」の存在は、「青い石」自体が何であるかとは無関係に、人々の強欲と残虐を引き出していきました。今「青い石」という言葉やイメージに強く反応し、「青い石」への畏れ、罪悪感などを感じる方は、そんな時代を生きた前世があるのかもしれませんね。
また、「青い石」と、「文明崩壊」、「文明の最期」、「破壊」を連想される方には、「レムリアの最期」の記憶があるのかもしれません。「レムリア文明」は、「青い石」により、地上に存在していたのが、レムリアの最初の使命を終えたとき、「青い石」がレムリアから離れることによって、「レムリアの神殿」が地上から消え、「レムリア大陸」あるいは「ムー大陸」が沈んだからです。「レムリアの神殿」で、「青い石」を守り、「青い石」の仕事をしていた「レムリアの青い石の巫女」の一人が、天命を受けて、レムリアの使命を全うするために、「青い石」をレムリアの神殿から、地上の海に解放した時、「レムリア」は終わったのです。
今、「青い石」は、この地上の重力に引かれるまま、つまり地球とともにあります。地球の海のどこかに眠っていると言われています。