人生という川

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最近友人と散歩した英国ケント州メイドストーンの川。

ドラゴンコネクションで、白龍の話をするときに、人生が川であるという話をします。アメリカにいた頃の友人で、ビート詩人の生き残りだったジョン・ウィルも、以下の俳句を残して逝きました。

River drifts
Between the earth and the sky
川は彷徨う
大地と空の間を

この歳になって、まだ落ち着いていないなあ、って今日も思うのですが、それも悪くないのかもしれないなと思います。

これからまだまだ、人生という清流は、大地の凸凹に沿って、思っても見ない方向に流れを作りながらも、確実に海に向かって流れ込んで行くんです。途中、大地を潤し、途中の大地の要素を受け継ぎ、それを途中の大地に届けながら、海に向かって流れ込む。

終わりになるまで、何があるかわかりません。

私のようにある程度、先のことがわかるというのは、荷物が増えるということでもあるかなとも思います。つい先の準備をしてしまう。そうやって川も太くなっていくのかもしれません。

まだ通っていない大地の形を、白龍と一緒に見据えながら、そここで必要になるものをとっておいたり、用意しておいたり。

と言っても、明確に何が起こるかわかっていることは少ないんです。だからむしろ、運命に従っているというよりは、私という生命のエネルギーの流れが運命だとして、それをどういう風に生きるかは、常に新しく選んで行っているんです。

そういう感じなので、この先の準備と言っても、どういう選択をしてもいいような準備をします。自分でも、どうしてそういう準備をしているかも、通常わかりません。

だから、後になって、
「ああ、このために、これやってたのか。」
「ああ、このために、これ持ってたのか。」
って、ちょっと懐かしい気分でどこかにたどり着いたりします。懐かしい気分っていうのが、大きな一つに回帰して行っているというような、安心感を生むというのもありますね。

実際はその大きな一つを、この宇宙と、みなさんと一緒に常に創造していっているわけなので、「懐かしい」という感覚自体が、自分に回帰しているからだと思うのですが。

こういう理由をつけて、うちの中にも、頭の中にも、色々とっておく物持ちのいい私も、まあ、いいかな。そのために大きな倉庫を持っておくのも、私が魂でずっとしてきていることでもあります。

それが私なら、身軽じゃなくてもいいのじゃないのかなって、今日は思います。

Leaves Institute について

一人一人の信念と哲学、独自の方向性を尊重しながら、癒しや自己実現のお手伝い、そしてそうしたお仕事に関する学びを提供しています。また、人間、人生、宇宙、その他の様々な神秘について、皆様が自分の求める答えを受け取り、自己知識に自信を持って生きていけるようにお手伝いすることを目指しています。
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