自分の仕事

406324_286664994718234_384468095_n気がついたら日英米で4つも大学や大学院に行ってたり、その他の学校も多数通って色々な勉強をしてきました。それの多くは、私にとっては、私の今の仕事の技術を身につけるというよりも、本を読むのと同じで、自分のうちなる知識や熱望を受容する癒しでした。

自分の中から自然に現れて来るオリジナルな手法よりももっといい方法があるんじゃないかとも思っていました。何年も大学その他で勉強を続けて、大学ではご縁をいただき指導をするまでにもなりながら、講師はやめてしまいました。

大学院での研究は楽しかったのですが、それを最終的に今までにあった文献や研究に頼りながらまとめる論文が完成できませんでした。研究データは十分にあったのですが、それらをまとめる上でも、どうしても直感的な知識(直接知ること:Direct Knowing, 直感:Intuitionsなど)がおりて来てしまい、それらに頼って論文を書くことができなかったからです。

自分がしたいと思っていることについて確認できることは沢山あったので、大学やその他の学校で学んだことは役に立ったと思います。ただ、結局私がすべきことは、大学などで学んだことではなかったのです。実際に活用する知識や技術は、そこで習ったものではなく、直接的な経験や観察および考察を通して、自分の中から生まれて来たオリジナルなものばかりなのです。

他者の評価の対象になることで、全く新しいオリジナルを生み出すという行為は、他者や社会的背景によるはっきりとした裏付けが無いので、怖いものです。

ある知り合いのエクゼクティブコーチ(経営者などのアドバイスをする人)に面白い話を聞きました。彼女が、あるシステムを開発して成功している経営者のコーチングをしていたところ、その人が悩みをこう打ち明けたそうです。

“There are already thousands of people using what I have developed. But sometimes I get anxious, because I am just making this all up!”

「オレが作ったものを、もう何千人もの人が使ってるんだよ。でも時々不安になるんだ、だってこれは全部オレの作りものなんだよ!」

その気持ち、よくわかるなあと思いました。私も同じように思うことがあったからです。

求められるままに、こういう直感に従って行う仕事をするように自然になってしまって、特に最初は、それらがどんどん出て来るのが怖かったです。私が助けられると思って頼って来る方のお役に立ちたいから行動してしまう、でも自分でしていることが誰にも習ったことも無いことで、どうして自分はこんなに熟知して教えられるんだろうと、怖くなるのです。

そんなとき、周りには、私を慕って、あるいは頼って来てくれる人達は多くいましたが、私に起こっていることを私が納得できるように説明できる人はいませんでした。英語ができたこともあって、日本国内だけでなく、世界中の優秀と言われるサイキックやヒーラーに、どうしたらいいか聞いていた時期がありました。でも、何人かに言われたのは以下の言葉でした。

“If that works and helps somebody, that is right. That’s the only way to know if it is right.”

「それに効果があり誰かの助けになるなら、それは正しい。それが唯一それが正しいかどうかを知る方法だ。」

“If you can help and serve just one person, you worth doing it.”

「それが誰か一人だけでも助けられるとしたら、それをする価値がある。」

それを頼りにしてやって来れました。結果的にその方々が喜んでくださっているのなら、それは価値のあることだと思います。

無知なまま、ありのままの、何も無いところへ、自分のうちから出て来る言葉と能力と技術に頼って、私はお仕事させていただいているだけなのです。そうして、お仕事お手伝いさせていただき、それを受け取ってくださる生徒さんやクライアントさんのおかげで、「自分に出来ること」、「自分の知っていること」や「自分」を知ることができているのです。

今日もお手伝いさせていただいて、喜んで頂けて、こちらも学ばせていただいて、生きていてよかったと思いました。

人は誰も独自です。誰も、独自なことをすることは、孤立であり、怖いと思います。誰もそれをしていないし、行動する前にそれが正しいとか、価値があるとか知ることが出来ません。

自分にとって正しいことをするとき、つまり誠意を持ってお仕事をさせていただく時には、私達はそれの責任を取ることが出来ます。最善を尽くして提供したものに、恥ずかしいと思う必要もありません。だから、最善を尽くして、誠意を持ってお仕事するように、私は指導していますし、自分でも心がけています。

自分の恐れを乗り越えて、相手にとって最善のものを差し出す。無責任ではなく、誠意を持って最善を尽くした上で、それが差し出すまで何なのか自分でもわからなくても勇気を持って差し出せる時、それは愛だと思います。それによって、私達はお互い生かし合うことができます。

私の場合には、欲しいものもずっと無かったし、何も持っていなくて、自己価値も低い人間でしたから、最初から何も失うものはありませんでしたし、自分のすることに大きな期待も無く、また自分の行動に大きな価値を求めずに行動できていたと思います。また、子供の時から、誰かの役に立つことで、自分に価値を見いだす傾向がありました。なので、自分の喜びが何なのかを実感するのにも時間がかかりました。自分を愛することを知るのにも、時間がかかりました。

そんな私でも、お仕事をさせていただく中で、「生きている」感覚を知り、「喜び」を知り、自分を好きになることが出来て来ています。価値を作り出すことができた経験を通して、自分に価値を見いだすプロセスを経て、今は、「生きる喜び」に自分と言う生命の価値を見いだせるようになっています。だから、より自分に正直になろうと思います。それが世界にとっても、他者にとっても最終的にはいいことなのだと実感できているから、「自分」にもっとフォーカスできるようにもなりました。

また、自分の仕事が、私そのものの表現であり、私の喜びであり、私自身を愛する愛でもあると感じられるようになりました。

まだまだ、わかっていないことが沢山あり、というか、もしかしたら何もわかってなくて(笑)、いつかのびのびとありのままの自分になりたいと思いますが、とりあえず、無知なりに日々生きる自分が愛しいと思います。とりあえず、今は、笑。

私の愛する人の笑顔に癒されるように、この仕事に、私と言う存在が癒されています。

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