娘が今日の午後、近所の教会であったドラマクラスに学校の鞄を置いてきてしまっていたことに気づきました。教会に電話すると、男性が出て、夜8時に行けば開けてくれると言います。宿題が入っているので、その宿題以外の勉強を済ませ、時間よりちょっと早めに教会に行くと、ベンチに年配の男性が座っていました。「電話の牧師さんかも!」と思って、話しかけると、その牧師さんを待っている、別の牧師さんのようでした。電話の牧師さんと地域のボランティア活動の打ち合わせがあるとか。
その方が、とても穏やかな方で、話が弾んでしまいました。そこへとうとう電話の牧師さんだろうと思われる人が来たので、話しかけると、また違いました、笑。お二人は友達同士でした。その方も穏やかな方で、またすぐに話が弾んできました。
知らない人達と、こんなに話が弾んじゃったのは、その方々がとてもよい方々で、お話を聞き上手だったのだと思います。
私はクリスチャンではないのです。でも、イエス様と会話をしているように感じていた時がありました。アメリカにいるとき、友人にその話をしたら、私が見ているイエス様を見せて欲しいと言われました。それで教会の壁にイエス様の絵を描くことになったんです。その話を何故か始めていました。
暫くすると、電話の牧師さんがとうとう教会の中から出てきました。電話の牧師さんは、まだお若くて、とても忙しそうで、私が急いで荷物をとってくるとそれを確認して、にこやかな二人を中にいれるとすぐドアを閉めてしまいました。
我に返って考えてみれば、私も喋りすぎだったかも。イエス様の話になると、何だかすごくエネルギーが強くなり、身体が広がって行くみたいな気がします。それできっと、喋りすぎちゃったんだろうと思いました。
でも、アメリカにいた頃を思い出しました。色んなところで、色んな人に、求められて、毎日絵を描いていたとき。絵を描く機会は、自分から探すよりも、自然に与えられていました。
それでも、思わず、I paint to be myself. って言っていた私。
私は今、私になるために絵を描かなくてはならない時に来ています。そして、今度は与えられるのを待たず、自分のために絵を描く機会を作らなくちゃと思うのです。
なんだかありがとうございます。
すごくすごく励まされました。そして勇気付けられました。
2008年裕美子さんの絵を描かせて頂いた後、丁寧なお礼のお手紙を頂いて感動したのを思い出しました。
今あの時と同じ感動を感じています。
そしてそのお手紙で「いつか一緒に絵を描けたらいいですね」とお言葉を頂いたことは
「ずっと実現していたんだ」と想いました。
ずっと実現していないと思っていたことは、ずっと実現していたんだと想えたんです。
ありがとうございます^^
そしてお礼をもうひとつ。
一斉ワークの文章の中で詩と絵を描く時「本質と繋がっていれば・・・・」とのことを読んで
「ただ自分の本質と繋がっていればいいんだ」と実感出来るようになり
あれからもっと自由に絵が描けるようになりました。
ただ自由に、わたしはわたしのままで伸びやかに描いていく。
それだけなんだって想えたのです。
より自由により楽に線が引けるようになって色が塗れるようになった。
これ以上ない歓びへのアシストをありがとうございました^^