シャーマンの覚醒、菩薩について

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この年末年始をパリのディズニーランド近辺で過ごしてみて、遠隔ワークも全てお休みで休むつもりだったその四日間をどうして、そこで過ごすことにしてしまったのだろうと思いました。結局四六時中、どこに行っても仕事道具を身につけて、シャーマンとしての仕事をしていたのです。ちょっとでも、それらを外して休憩しようとすれば、とんでもない問題が起こりました。問題は起こってしまったので、すぐに仕事モードに戻り対処しましたが、シャーマンという仕事について改めてその厳しさを感じました。それで、ロンドンの自宅に戻ってきてすぐに、最近シャーマンについて、ツイッター(@leavesinstitute)に書いてみたのでした。
「シャーマンに休みは無いのか…。というよりも、それは常に自分という存在の一部なのだから、生きてるってことだけど。超常現象が苦手なのも自己否定。」
「シャーマンには霊的権限があるゆえの責任・責務がある。それらを執行するための霊的権限と能力なのだから当然なのだけど。生来のシャーマンが、その責任と能力と宿命に圧倒され悩みながらそれを受け入れて行くことは多いと思う。反対にシャーマンに憧れ、修行と訓練によりなる人もいる。」
「シャーマンとは一人の人ではない。全てと運命と人生をともにして、全てと一つである存在だ。有り様としては自然であるが、本人以外の様々な存在が、シャーマンという能力者を協同して存在させているところが特徴的だ。そして地上の全てのシャーマンが同じ大地で常に繋がっている。」
「シャーマンである自分は、人間の自分でありながら、自分とは別に存在し、人間の自分に対してもその権限と能力を行使できる。」
「シャーマンのヒーリング能力は、エネルギーによるものではなく、これはシャーマンが、その霊的権限をもって、相手と運命を合わせ、寄り添いながら、宇宙軸にそった前進に導く「霊的導き」によって起こる。」
「そのため、導かれる人は、抵抗するほどエネルギーを消耗し、苦しくなる。エネルギーによるヒーリングや、変化のための介入がある方が楽である。」
シャーマンの仕事って、本当に全力で向かわないといけない仕事です。また、シャーマンである人の人生そのものです。だから、お休みもないですし、常に真剣であり、日々成長するために謙虚でなくてはなりませんし、無私・献身的でないとやって行けないのです。もちろん、それが幸せではあると思いますが、楽な仕事ではありません。シャーマンとしての権限が大きければ大きいほど、責任も重くなります。シャーマンには、色んな霊力のレベルがあり、仕事の内容も多様であり、覚醒も多様です。リーブスインスティチュートのホームページのジャーナルの「シャーマン」のページに多少の説明を付してあります。
私は生まれながらのシャーマンです。もう10年以上前に心理学の勉強を本格的に始めるようになってから、スタニスラフ・グロフというトランスパーソナル心理学者による「スピリチュアル・エマージェンシー」という本や、ミルチャ・エリアーデという宗教研究家による「シャーマニズム」というシャーマンの研究書を読んで、あらゆる民族と文化で見られる伝統的なシャーマンのイニシエーションを、私もまた精霊によって受けて来たことを知り、安堵しました。それらは、説明すると気違いだと思われるような、強烈な超常現象を伴うものでした。私は、そういう超常的なイニシエーションの過程を辿るにあたり、素晴らしいスピリットやマスターだけでなく、適切な人達に囲まれ、遠隔地から当時相当有名だった生きた聖人のサポートを受けることができた、幸運なケースでした。そうして、様々な段階を経て覚醒していった天然シャーマンが私です。シャーマンになりたいと思っていた訳ではなく、何とかプロにならずに人知れず存在したいと思っていたくらいでした。
「あなたなら私を救える」という、理屈の通らない直感によって私を訪ねてくる人が、子供の時から時々ありました。そしてその人達にとっての「救い」を受け取ると、親友から他人になったかのように去って行く人がいるのが悲しくもありました。20歳を過ぎて、段階を経てさらなる覚醒が近づいてくるに従って、癒しを求める存在が日々訪れるのに困惑しました。その数は、後の段階になって行くほど、増えて行きました。私のさらなる覚醒を望んだのは、もちろん人間の私自身ではありませんでした。癒しを求める多くの霊、そして私を今はサポートしている多くのスピリットによって、私は導かれてきたのです。覚醒の段階が進むにつれ、やっと分かって来たことは、彼らを助けることは、私を助けることだということでした。私をシャーマンとして定めようとする存在や宿命を拒否するかのように、自らの人生を終わりたかったこともありましたが、その宿命を生きることが、より真実に深く生き始めることだったのです。それはもちろん、そうなるまで分からないことばかりでした。私にとって、シャーマンとして、あるいは自分に与えられた能力や使命を受け入れて生きることは、私が人間になるにあたり、「人生の喜び」として自分が定めていたことを行うことでした。それは、覚醒していくにしたがって、より明確に私を幸せにしていきました。今も、これからも、足りない私の学びの中で、その覚醒が続いて行くと思います。
通常、シャーマンという存在は、社会にとって大きな役割を担うために、その覚醒には多くの存在が関与するものです。シャーマンとしての覚醒にそれほど多くの存在が関わり、かつ幸運だったことには、私の役目の大切さも感じられました。それを受け入れるのに、様々な癒しの手法を学んだり、セラピーにかかったり、様々な勉強を積みながら、ほぼ10年を費やしました。イギリスで同時に二つの大学院で学びながら、その他のカレッジや専門学校に通って、様々な学びを深めたのです。自分に起こっていること、自分の使命、自分が何者であり、自分が知っていることがどういう役に立つのかを知るために。
そうしながら、すでにプロのシャーマンとしてご活躍されている方々を、指導したり、お手伝いしたりもしました。世の中のシャーマンがいかに苦労しているか、そしてそれ程の霊力も叡智も持たないままプロとして生業にしている人がいかに多いかを痛感しました。危険な目に遭いながら、身体と家族を犠牲にしながら、霊障と戦っている様々な分類のシャーマン。日本各地の様々な名前で知られる伝統的なシャーマン達や、浄霊で知られるお寺の僧侶達、または祈祷師や霊媒師。家代々の継承でその仕事を受け入れている人達以外に、自ら感じるシャーマンという宿命に向かって命をかけている人達、それを覚醒することによって初めて「生きる」ことが可能になる人達にもまた多く出会いました。日本だけの話ではありません。
シャーマンとしてしか生きられない人達がいます。他のことをしてもうまく行かず、絶望的な身体的症状に悩まされたりもします。そう言う人は素質や宿命を担って生まれて来ていることが多いです。でも、素質や宿命がなくても、シャーマンに憧れ、シャーマンになりたい献身的な人達もいます。シャーマンの厳しさ、いかに時間とエネルギーをさく必要があるかなどを、理解した上で、その道を歩む人達にも出会うようになりました。シャーマンの厳しい宿命を担っている人から見ると、そういう献身的な人の意図が理解出来ないこともあります。シャーマンにならなくても、生きて行けるのに、シャーマンに覚醒することを選ぶ人達。
私の指導する方法では、シャーマンとして覚醒し、安全に確実に人を導き助けることが出来るようになるだけでなく、その人が人間として日々覚醒し、人間として人を導けるほどの本物の叡智を自分の真実と出来るように、覚醒した時から修行が始まります。中途半端な気持ちでなるものではありません。シャーマンとして生きて行くのは大変です。でも代え難い喜びもそこにはあります。
私にとって、シャーマンの仕事は、菩薩との出会いでもあります。菩薩とは、自分の苦しみの経験から同じ苦しみを持つ人を救いたいという誓願によって「生命」を得た存在です。「生きる」ことへの新しい目的を見いだすことでもあります。危篤で死ぬ寸前の人に、「菩薩」を覚醒することで、「生き返る」こともあるほど、パワフルな覚醒です。一度死んで生きるというのは、菩薩になるということでもあるのではないかと思うほどです。
私はある霊を導いたとき、その霊が菩薩になる時に語った言葉に激しく感動して、そういうお手伝いができることが私の生命の喜びだと知った時、プロとしてシャーマンをやって行くことにしたのです。それは私のご先祖に当たる存在でした。つまり、生きている存在ではありませんでした。多くのシャーマンは覚醒の時に、先祖や関係するスピリットからギフトを受け取ります。今思えば私もそうだったのだと思います。
その霊は、恐らく戦って死んだ武士達だと思われる無数の霊を結界に入れて束ねていました。私はその結界を解放し、その霊達を浄霊したいと思っていました。その霊との長いやり取りがあり、とうとうその霊は自らの「愛」に覚醒しました。「自分にも救うことができるのなら、救いたい」という思いと愛が、その存在を自ら解放し、結界の中の全ての存在を癒し導いたのです。私ではなく。
目の前で、それが起こるのを目の当たりにし、その生々しい言葉と変化と覚醒の感動を見て、私は自分は助けるのではなく、助けていただいているのだ。自分は導くのではなく、導かれているのだと確信しました。私は人間の中の愛に癒されたい、人間の中の愛に豊かにされ続けられたいと、強く望みました。私の見解や経験を誰かに否定されても、この愛は否定することができないと確信することができたのです。
つまり、恐れを手放せたのだと思います。そしてその霊は、菩薩になったのでした。

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シャーマンの覚醒、菩薩について への4件のフィードバック

  1. leavesinstitute より:

    去年、アメリカやペルーで数人のシャーマンについて6年以上も修行してきた経験あるシャーマンから、突然、弟子にしてくれと言われました。今までに35年以上修行して来た人とかも来たことがあります。それって私には結構、ショッキングというか、トラウマ的というか、そんな人がどうして私のところに来るのか昔から疑問です。このブログの菩薩になった霊の話と同じように、私を救いに来てくれているに違いはないのですが。ちなみに、突然来られた方は現在保留中。つまりその方々のお手伝いをすると、私は益々覚醒し、責任も重くなるということで、怖いのかも知れません。

    実際の私は、すごく普通な人です。(と私は思っています)

    • 葉月 より:

      何だか無性に感動してこのコメントをしています。私の今世での誓願がシャーマンだからでしょうか。今年こそ、シャーマン覚醒をすることを決意して、今、自分が今出来ることを最大限に行ってゆきたいと思いました。

      • leavesinstitute より:

        不思議ですよね。シャーマンっていう存在が、出会う方も、覚醒する方も、こんなにも大きく人生の中にあれるということが。

        シャーマン修行は、人としての宿命を極め、「愛と調和に満ちて、この独自唯一の自己を生きる」ということに私達を導いてくれます。

    • leavesinstitute より:

      超常現象が苦手だというと、人に奇跡みたいなことを起こしているのにと笑われますが、何が何だかわからず、説明しても誰も信じてくれないような内容だったり、自分が気狂いだと思われそうな内容だとトラウマになりますよね。

      本当に普通に本に載っているようなシャーマンのイニシエーションだったんだと、本を読んで安心しました。超常現象は、そういうのでとても苦手になったと思います。そう言う経験をしている人が他にいて、そういうのはシャーマンって言って、存在理由が確立しているということがもっと昔に分かっていたら、もうすこし気楽だったと思います。

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